オペラというジャンルが確立したのは17世紀初頭。その最初の傑作と言われる「オルフェオ」を作曲したモンテヴェルディは、後にヴェネチアに来てサン・マルコ大聖堂の楽長として活躍。当然オペラも作曲、上演しました。オペラはヴェネチア人の気質に合ったとみえて大流行しますが、これが王侯貴族の独占物とならなかったのは共和国ヴェネチアらしいところ。入場料を取って一般公開する形の劇場は、ここに1637年開業したサン・カッシアーノ劇場を嚆矢とします。その後も、ゴルドーニの戯曲にガルッピが曲をつけたり、ヴィヴァルディがサン・ベネデット劇場のために多数のオペラを作曲したりと、共和国としては衰退しつつあったヴェネチアも、オペラの一大中心の地位は保ちます。
フェニーチェ劇場の完成は19世紀も目前の1792年のことですから、そういう歴史のあるヴェネチアでは遅い方と言えます。でも開業して間もない時期から、ロッシーニ、ベッリーニ、 ドニゼッティといったイタリアオペラの巨匠達がこの劇場のために作品を書き、その名声を高めました。1836年に火災に遭ったフェニーチェ劇場が、わずか1年で再建された話は前に紹介しましたけれど、魅力的な新曲がどんどん作られていた時代なので、ゆっくり時間をかけて再建している余裕などなかったのかもしれません。
フェニーチェ劇場で初演された一番有名なオペラと言えば、ヴェルディの「椿姫」でしょう。現在では最も人気の高い作品のひとつなので、1853年の初演も当然大成功かと思いきや、意外にも不評だったそうですね。主演のソプラノが太っていて、結核で死にそうには見えなかったのが原因と言われていますが、ここの観客ならオペラがリアリズムの世界でないことは重々承知していた筈ですから、何か他の部分、おそらくは歌手の声に致命的な欠陥があったのではないかと、私は想像しています。あるいは、舞台上のヴィオレッタのサロンより劇場自体の方が豪華だったので、「乾杯の歌」なんか歌っても、盛り上がりに欠けてしまったのでしょうか。
ヴェルディは「エルナーニ」「アッティラ」「シモン・ボッカネグラ」などもこの劇場のために書いていますが、もうひとつの超有名作品は、1851年の「リゴレット」です。本来はマントヴァが舞台ですが、ヴェネチアの話にした方が似合うと思うのは贔屓目かなあ? 例えば劇場の周囲のソットポルテゴ(片側が運河に面して開いたトンネル状の通路)を歩いていると、スパラフチーレの小屋がこの辺りにあって、 その途中のマリア像の前でジルダがお祈りをしていても不思議はない感じがします。近くには「暗殺者のカッレ」という路地もあり、昔は本当に刺客が暗躍したらしいので、公爵の暗殺が目論まれるにも相応しい。なんて思っていると、おあつらえむきに「女心の歌」が聴こえることさえあります。もっとも、歌っているのは好色な公爵ではなく、観光客相手にゴンドラの上で美声を披露する歌い手ですが…。
現代のヴェネチアはイタリアの中でも治安の良い街で、夜中に歩き回っても暗殺される心配はありませんが、フェニーチェ劇場の周囲は、昼間でもそんな不思議な雰囲気があり、あてもなくさ迷い歩いて、光と水の戯れを眺めるには好適な場所です。有名なヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」も、この辺りをロケに使っていると聞きましたが、残念ながら現在は劇場の工事のために通行止めになっていて、ホテル・フェニーチェの部屋にいると、行き止まりになった所でブツブツ言っている人の話し声が、よく聴こえました。
※この記事は2001年に掲載したものです。 |