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シエナは、ローマへの巡礼ルートでもあり、フィレンツェ、ボローニャ方面からの道が交差する交通の要衝でもあったため、商業・手工業とりわけ金融業が発達した都市である。それだけに、同じく商業金融の分野で抜きん出たフィレンツェとは対抗意識も強く、いくどか武力衝突を繰り返していた。1260年には、トスカーナの覇権をめぐり、モンタペルティの戦いを向かえる。武力では圧倒的に劣勢であったシエナは、市のすべてを聖母マリアに捧げることを誓約して合戦に臨み、奇跡の勝利を遂げた。その勝利を聖母の加護によるものとして、自らの町を「聖母の都市」と呼んだ。シエナには、この守護聖人「聖母マリア」を描いた作品が数多く見られる。
15世紀に活躍した画家、サセッタとサーノ・ディ・ピエトロらの描いた聖母は、ビザンティンの影響を受けた蒼白なほっそりとした顔面と金箔使いが特徴的。哀愁を湛えたその神秘的な表情からは敬虔な宗教心と深い人間的情感が感じられる。金融業や羊毛業などの大商人たちが芸術の主要なパトロンとなったフィレンツェに対し、シエナではコムーネ(都市国家)が最大のパトロンとなり、芸術を支えた。そのためフィレンツェ派の美術が知的で合理的精神に富んだ個性の強さに特徴があるのに対し、シエナ美術は常に市民の生活と密接に結びついた集団的性格の強いものとなった。シエナ美術は、常に市民の理想に奉仕し続けるものだったのだ。シエナの美術家たちによる宗教心に裏打ちされた優しい聖母像は、「聖母の都市」の住人としてコムーネに対する愛国心を抱き続けたシエナ市民の理想を物語っている。
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