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ミケランジェロが幼年期から芸術を学び活躍したフィレンツェには彼の代表作『ダヴィデ像』を展示するアカデミア美術館があります。この美術館には像をシニョリーア広場から美術館へ移動させる際、360度どこからでも像を鑑賞できる専用のスペースが設置されました。このスペースに繋がる広いアプローチにミケランジェロの手による『奴隷像』4体が展示されています。ノミの跡がはっきり読み取れる未完の作品群は、いずれも石の中でのたうち回り、押さえつける巨大な岩から抜け出そうとして苦しみもがいています。それはまるで恩義のあるメディチ家と戦い破れ、深い友情で結ばれた共和国フィレンツェの仲間達を裏切らざるを得なかったミケランジェロ50歳の苦汁の思いが込められた作品といえるでしょう。 |
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ミケランジェロは、この後ローマ法王パウルス3世に招かれ、システィーナ礼拝堂に「最後の審判」を描くことになるのですが、この悩みと苦しみの人生から生まれた大フレスコ画が、はからずも「永遠の都ローマ」の再生のシンボルとなるのです。 |
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ミケランジェロが60歳を過ぎてローマに赴いた頃にはフィレンツェを中心に広がった輝かしいルネサンスは跡形もなくかき消えていました。イタリア全体は宗教改革とドイツやフランスなど絶対王制国家間の覇権争いの混乱に巻き込まれ、ローマ法王庁を中心とした政治的社会的秩序は、その土台を根底からゆさぶられようとしていました。ローマ法王はもう一度人々を救い、神への畏れを抱かせる大壁画が必要でした。そのテーマは『最後の審判』。この世界の終わりの時、7番目の天使のラッパが鳴り響き、神の子イエスがすべてのものに対して天国行きか、地獄行きかの審判を下すというシーン。ミケランジェロは6年の歳月をかけ、この大作を完成させました。約200平方メートルの巨大な画面に400人もの群像がひしめき、それが波のように右往左往しています。まるでアカデミア美術館の『奴隷像』にみるような苦悩がパズルのように組み合わさっています。イエスに寄り添うマリアの戸惑いの表情。聖人たちのイエスに何かを問うような迫真の表情。自分の意図するところではないのに戦争や混乱の中に巻き込まれていく不条理に対するミケランジェロの悲痛な思いが、「最後の審判」を生んだのです。そして全ての苦しみを乗り越えた上での愛と平和への思いが、ローマの象徴、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラを生み出したのです。 |
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ローマのルネサンスはミケランジェロなくしては語れません。システィーナ礼拝堂は現在もローマ法王のもっとも大切な礼拝堂であり、新しい法王を選挙するための極めて神聖な議場ともなっています。いうなればミケランジェロはヨーロッパの歴史の大きな節目でローマに美の殿堂を築き、都市再生を実現していったのです。今も世界中の人をひきつけてやまない永遠の都ローマはミケランジェロが残した魂の遺産といえるでしょう。 |
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