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町の象徴、ドゥオーモ。13世紀末にアルノルフォ・ディ・カンビオによって建設が始められ、1436年にブルネレスキが設計したクーポラを装着して完成したドゥオーモは、
“サンタ・マリア・デル・フィオーレ” (花の聖母教会)とも呼ばれています。地下には、ドゥオーモが造られる前に、同じ位置に存在していたサンタ・レパラータ教会の後が残っています。
初めて私がフィレンツェを訪れた時、ドゥオーモで行なわれていたミサに遭遇しました。パイプオルガンの音と聖歌が厳かに響き、緊迫した空気が流れる聖堂内で、何のミサなのかはっきりと解からぬまま立ち尽くし、なぜだか涙が溢れて止まらなかったことを今も覚えています。ミサの最後に隣の人と握手を交わし合ったのですが、東洋から来た小さな旅行者である私にも握手を求めて手を差し出してくれた時、「暖かく迎え入れてくれている」そんな気持ちがして胸が熱くなりました。その後、この町で暮らし、数年が経った今は、初めの感動がすっかり薄れ、毎日ドゥオーモの横を何の気なしに通り過ぎてしまっています。けれども、他の町を旅してサンタ・マリア・ノヴェッラ駅に到着し、駅前広場から歩いてドゥオーモ広場に出るとドーンと現れる、サン・ジョバンニ洗礼堂、ジオットの鐘楼、そして白とピンクと緑の大理石で造られた優美な大聖堂を目にすると、「ああ、フィレンツェに帰ってきたんだ」と、心がほっとします。
ジオットの鐘楼の脇を通ってドゥオーモの南側に出ると、クーポラへ登る入口があります。この入口の向かい側に、自分が設計したクーポラを見上げるブルネレスキ像が立っています。日中とは打って変わって静寂に包まれた夜、この前を通るとき、不思議と彼の視線を追ってクーポラを見上げてしまいます。 |
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フィレンツェの町の中で、一番高い場所。クーポラの頂上までは、463段の狭い石階段を上らなければなりません。上り慣れない石段に、足がガクガクしてきますが、段々明り取りの窓から、時折覗く家々の屋根が、下方に見えるようになってきます。映画の撮影時には、役者もスタッフも一同、この階段を上ったそう。カメラや照明機具を持って何度も上り降りするのは、かなりキツイことだったでしょう。
途中クーポラの内部に入り、ヴァザーリ等によって天井に描かれたフレスコ画“最後の審判” や頂点の丸窓のステンドグラスなどを間近に見ることができます。下から見るのとはまた違って、その大きさに圧倒され、思わずため息が。さらに階段を上り、ようやくクーポラの頂上に辿り着いて外に出ると、フィレンツェ特有の煉瓦色の屋根が眼下に広がります。町中の喧噪から離れ、このクーポラから夕陽を眺めていると、時間がゆっくりゆっくり流れていくように感じられます。何世紀も前から、数え切れないほどの人々を魅了してきたこの町並みの美しさを実感し、誰もがうっとりします。あおいを待っていた順正の目には、このドゥオーモからの眺めはどう映ったのでしょう。 |
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南側には、現在は市庁舎として機能しているヴェッキオ宮殿。シニョーリア広場に面しています。建物の南側には、ウフィッツィ美術館があります。この建物の中には、サーラ・ロッサ(赤の間)と呼ばれる婚姻の部屋があります。ここで、新郎新婦が婚姻の誓いをして署名をするのです。建物の一部は見学ができ、豪華な内装と上階からの眺望が楽しめます。 |
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東側には、サンタ・クローチェ教会とミケランジェロ広場が臨めます。その向こうに広がるトスカーナの小高い丘。サンタ・クローチェ教会は、フィレンツェにある教会の中でも特に大きなもので、あの偉大な芸術家ミケランジェロの墓やマキャヴェッリの墓があり、多くの有名人が葬られています。長期に渡って行なわれていた修復が終わり、きれいになった白いファサードは西日を受けて、一際輝いています。 |
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ドゥオーモのすぐ脇に立つ“ジォットの鐘楼”
。1334年にジォットと弟子のA・ピサーノによって建設が始められ、1359年に完成しました。ドゥオーモと同様、白、ピンク、緑の大理石で装飾されています。鐘楼下部には彫刻が施されていて、鐘楼全体がまるで、繊細なレースのベールで包まれているような印象を受けます。こちらも400段ほどの狭い階段を上ると、テラスから町を展望できます。 |
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イタリア・フィレンツェ在住。(株)IMAGICA退職後、1998年6月に渡伊。
Fondazione Studio Marangoni ( Firenze )にて写真技術を学んだ後、トスカーナ州を中心にイタリア国内外で写真を撮り続けている。フィレンツェのISTITUTO
EUROPEOや 東京飯田橋 ギャラリー21などで写真展やグループ展を開催。 |
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