ポンペイ-古代ローマ2000年のタイムカプセルを開く
ポンペイの快適都市生活
 城壁に囲まれたポンペイは東京ディズニーランドをひとまわり小さくしたぐらいの広さだ。北東から南西に舗装された広い道路が走り、通り沿いに商店や住居がひしめき合っている。大通りは裁判所や役所、神殿、公衆浴場などに囲まれた大きな広場につながり、町の中心からちょっとはずれた場所には競技場や劇場などの大きな娯楽施設がある。
 噴火の起こった紀元79年、ポンペイには1万数千から2万人の人々が暮らしていた。今から2000年ほど前、彼らはどんな暮らしをしていたのだろうか。それは現代とどれだけ違っていたのだろうか、あるいは変わりはなかったのだろうか。
ないのは電気とガスだけ?
 真夏のポンペイの日中は35度を上回る。大地はからからに乾ききり、眩しい陽光をさえぎるものはほとんどない。そんなポンペイの遺跡に今はたった一軒のカフェだけ。しかし、ポンペイで水分をとることのできる場所はカフェだけではない。今でも古代ローマの水道が使用できるのである。ポンペイの銀座通りともいえるアボンダンツァ通りにはいくつもの水くみ場があり、彫刻が施された水道から流れ出る冷たい水が観光客ののどを潤す。
 
ローマ時代のポンペイには3種類の水道が引かれていた。ひとつは共同の水くみ場のための水道、二つ目は公共浴場のための水道、三つ目は富裕層の家庭に送られる個人のための水道だ。富裕層の家だけとはいえ上下水道が引かれ、噴水から水が迸る。電気やガスの設備はないが、壁や床に熱い空気を流す暖房システムも工夫され、贅沢な環境のなかで人々は生活していた。
 整備されていたのは水道だけではない。アボンダンツァ通りは、馬車や馬の通る車道と人が歩く歩道に分かれていた。通りは舗装されていて、車道を渡るための飛び石があり、横断歩道の役目をしていた。仕事や買い物に行く人々は安全な歩道を歩き、歩行者天国となっていた公共広場に向かったのだろう。紀元一世紀、日本の弥生時代と同じ時期のことである。
何から何まで装飾づくし
   ポンペイはただ設備が整っていただけではない。それらの一つひとつに必ずといっていいほど装飾が施されていた。
 住居や商店、工場などの建物内部の壁面には神々の姿や風景画、働く人々や動物などが鮮やかに描かれている。モチーフはさまざまだったが、その家の主人の教養や富を表すためそれぞれ工夫がこらされていた。これらの壁画はフレスコ画で描かれているが、今でも美しい色合いや繊細な筆あとが残っており、当時の技術の高さを物語っている。中でもポンペイ・レッドといわれる赤はポンペイを代表する色で、壁面の多くの部分を覆っている。そのほかにも黄や緑といったイタリアンカラーが多用され、室内はかなり派手だったに違いない。
 床を彩るのはモザイクだった。有名なアレクサンダー大王の戦闘シーンや猛犬注意のモザイクなども床に施されたものである。床のモザイクは壁画と違い簡単に直すことができなかったため、特に芸術性の高いものが多い。
 柱や水道の蛇口、火鉢の足にいたるまで何かしらの装飾が施され、ポンペイの人々は日常的にそれを使用していた。濃厚なまでの装飾の数々はポンペイの人々の生き方を物語っている。最低限必要なものだけで生きていくこともできるが、そこに理想や夢、願いや祈りをプラスすることにより、生き生きと暮らしていくことができた。現代に生きる私たちよりも、生きていることのありがたさを知っていたからこそ、精一杯生きることを楽しんでいたのではないだろうか。
文:アトリエ・シュパース
写真提供:東京大学 象形文化研究拠点