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1700年間火山灰の下に眠っていたポンペイを目覚めさせたのは一人の井戸掘り職人だった。18世紀の初めのことである。ポンペイ近郊の別荘で井戸を掘っているとき、美しい大理石の像を見つけたのだ。
以前から農民たちが「チヴィタ―町―」と呼んでいたこの地は一躍注目を浴び、ヨーロッパの王侯貴族らは遺跡から出土するモザイクやフレスコ画、大理石の像などを競って収集するようになる。
最初に発掘を組織的に手がけたのは、当時(18世紀中頃)ナポリを支配していたスペイン国王のカルロス3世。ただし、このときの発掘というのは歴史的遺物を発見するというのではなく、美術的に価値のあるものだけを国王の元へ送り、不必要な物は破壊したり、新たな道具の材料とするという乱暴なものだった。
宝探し的発掘はやがて非難を浴び、ローマ法王からストップがかけられる。
その後、ポンペイの発掘は考古学的・芸術的なものとなり、世界的な学者のもと、貴族の館、競技場や公衆浴場などの公共施設が次々と発掘された。ナポリの支配者が変わっても発掘は休むことなく続けられた。オーストリアのマリア・テレジアの娘や、ナポレオンの妹でナポリ王妃となったカロリーヌも何度もポンペイに通い、熱い眼差しで発掘を見守った。
発掘が進むにつれ、ポンペイを一目見ようと、観光客もやってくるようになる。特に知識人と呼ばれる人々や芸術家らはこぞってポンペイに足を向けた。
ドイツの作家ゲーテ(1749-1832)は『イタリア紀行』でポンペイの人々の芸術を愛でる心に触れ、イギリスのリットン卿(1803-73)はポンペイの遺跡からイメージを膨らませ、『ポンペイ最後の日』でベスビオ山の噴火に逃げまどう人々を書き綴った。スタンダールやマーク・トゥエーンもポンペイを訪れている。作家だけでなく画家や彫刻家らもポンペイの魅力の虜となり、ポンペイを題材にした多くの作品が生まれた。
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