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日本ではあまり知られていませんが、コレッジョ(1489〜1534年)はヨーロッパで絶大な人気を誇る画家です。19世紀フランスの文豪・スタンダールはコレッジョに心酔し、小説を書く時に、コレッジョの描く女性像をモデルにして、登場人物を構想したといわれています。盛期ルネサンス期、パルマで活躍したコレッジョ。彼の生み出したドラマティックで独創的な絵画は、100年後のルーベンスやカラヴァッジオなどが生み出すバロック絵画に多大な影響を与え、その官能的で優美な描写は、200年後のフランス・ロココ絵画をも先取りしていたといいます。
しかし、その人物像は謎に包まれています。彼に関する資料は驚くほど少なく、自画像さえ残されていないのです。僅かな資料によれば、コレッジョは「内気で控えめな男」だったといいます。一体、そんな男に、なぜ新しい芸術を生み出すことができたのでしょうか?
レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、アンドレア・マンテーニャ、偉大な天才画家たちとの出会い・・・。その度にコレッジョは柔軟な心で、先輩の才能を次々と吸収し、融合させ、独自の審美眼で新しい世界を築いていったのです。また、弟子パルミジャニーノとの葛藤、そして愛する妻とその死、当時の政治や社会状況・・・。彼の人生を辿るうちに、知られざるルネサンスの物語が浮かびあがってきます。 |
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イタリアを舞台に1519年から40年も戦争が続き、イタリア・ルネサンスが終焉を迎えようとしていた激動の時代に、コレッジョはパルマ大聖堂の天井画に挑みました。制作途中、愛する妻が亡くなるという悲劇の中、4年もの歳月をかけ、1530年、直径11メートルのルネサンス史上、最も幻想的な天井画が誕生したのです。テーマは「聖母被昇天」。「天国が、地上に舞い降りた・・・」初めて目にした人々は驚愕し、やがて涙を流したといいます。そこには、混乱の時代に忘れられていた、人間と世界の美しさ、愛することの素晴らしさ、命の尊さ・・・、ルネサンスの精神・全てが描かれていたのです。 |
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1519年、サン・パウロ女子修道院に、コレッジョは聖書の物語ではなく、異教のギリシャ神話を描きました。禁欲的な修道院の天井一面を、匂いたつような新緑の蔦で覆い、豊満な肉体をした裸の子供たちが走り回る・・・。これまでにない強烈な構図、そして圧倒的な躍動感と生命力。壁画完成後まもなくして、一般人が立ち入ることは禁じられ、270年間もの間、世間の目から遠ざけられたといいます。 |
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コレッジョが描く聖母マリアとキリストには、これまでの宗教画にはない、暖かな人間味に溢れた母と子の姿がありました。しかし、その愛する妻は、突然の病に倒れ、わずか26歳でこの世を去ってしまいます。晩年の作品に描かれた官能的な女性像、そこにコレッジョのある思いが秘められていました。 |
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