 |
|
 |
| 前回の結びで、イタリアでは相手が他地方出身だと結婚後思わぬ争いの種になり、その陰にはおらが国根性=カンパニリズモcampanilismoがあることを書いた。
|
僕の知り合い・ヌンツィアおばさん(54)はミラノ出身だ。彼女は若い頃、ミラノで働いていた旦那と知り合い、結婚と同時に彼の故郷・トスカーナにやって来た。もろちん当時はラブラブで大移動を果たしたのだろうが、今や「トスカーナに引き篭もったのは一生の不覚だった」と、タバコをくゆらしながらボヤく。
「ここじゃ私にシゴトもない。散歩だって、街がちっぽけだから1時間もかかりゃしないヨ!」
確かに大都会ミラノからすると、退屈かもしれん。
おばさんは独りっ子であることもあって、イタリア人にしては親戚が少ない。唯一に近い親族はトリノにいるのだが、そのトリノも「あそこのヤツらは、フランス気取りでイヤだネー」と言う。地理的なこともあって、確かにトリノ人たちは、夫人のことをマダーマ(マダム)と呼んだりするが。
昔の仲間と毎夕散歩に繰り出す旦那は、おばさんの心理的漂流状態が理解できない。そんなわけだから、子育ても終わって、おばさんの孤独感は日増しに募っている。 |
そこで今回の諺。Moglie(女房)とbuoi(牛 bueの複数形)はpaesi tuoi(オマエの田舎で)つまり、奥さんにするなら同郷がいちばん、という意味だ。
いまさらナンだが、ヌンツィアおばさんも旦那が同郷なら、こんな苦労もなかったかもしれない。
ところで「なんで牛か?」というと、イタリア人は牛は国産、というより地元産が一番と信じていることの表れだ。たとえばトスカーナでは「名産・キアーナ牛が最高だ」と必ず言う。
いよいよ深刻になった「BSEいわゆる狂牛病の心配は?」と言っても、「うちは天下一品のキアーナだから大丈夫に決まってんじゃん」と、あまり根拠まで考えず言い切る。ちなみに、そう言う家に招かれたときは、骨髄だろうと胃袋だろうと勇気をもって食べるしかない。
同郷がいちばん−−しかしながら我が町街シエナはなかなか極端だ。
たとえばおもちゃ屋の若旦那・ファビオ(28)の場合。ガールフレンドは彼の店でパートタイムしている。 「どこで知り合ったのだ?」と聞けば、「同じ町内会だヨ」という。シエナには中世から続くコントラーダContradaといわれる町内会があって、人口6万人の街を七分している。そしてここでは、コントラーダの中で相手を見付けて結婚する、という習慣が今も続いているのだ。
もちろん別のコントラーダの人とでも、日本人とでも結婚して構わない。
だが、21世紀を迎えた今日でも「やっぱり同じ町内会がいいワ」と言うセネーゼ(シエナ人)は少なくないから驚いてしまう。歴史と同棲してる国・イタリアならではだ。
夕飯どき、同じ東京郊外、それも同じ町出身の女房が言った。
「駅前にあったイノウエ惣菜店の餃子、アレ絶品だったね」
イタリアに住んでるというのに、まったくムードがない。もし女房がイタリア人だったら--ベッララガッツァ(bella ragazza カワイイ娘)がたくさんいるこの国だから、ボクは一度ならずとも考えたことがある。しかし、彼女の生まれた村にでも住まない限り、小心者のボクは望郷の念を抱く彼女をなだめられないだろう。
やっぱりボクには「国産女房」が適当。そう思うことにした。
今夜は例のキアーナ牛だ。 |
|