映画に登場する建物、装飾品、そして人物の立ち振る舞いから表情まで、まるでフレスコ画から抜け出してきたかような美しさ。なにより主人公ジョヴァンニの美しさにはクラクラしてきます。馬にまたがる甲冑姿も、女性に向ける甘い微笑みも、痛みに苦しむ悲痛な表情も・・・とにかくすべてが美しい。
そんなジョヴァンニに誰よりも惚れ込み、日本劇場公開を実現した配給会社プレノンアッシュ代表取締役社長 篠原弘子さんにその想いを熱く語っていただきました。
 それは衝撃的な出逢いだった。2001年カンヌ。喧騒のクロワゼ通りを早足で駆け抜けて、試写室にすべり込む。エルマンノ・オルミ監督の13年ぶりの新作に会えるのを、仕事抜きで楽しみにしていた。客電が落ち一瞬の暗闇のあと、イタリア語の美しい響きが全身を包む。言語を解さない私にとって、それはまるで美しく荘厳な音楽のように体に沁みた。こんな経験は『ベルリン天使の詩』以来だ。『ベルリン〜』では冒頭、詩の朗読のところで涙腺が壊れたが、今回はひたすら胸が高鳴る。フェリーニやヴィスコンティ、ロッセリーニの名を挙げるまでもなく、イタリアはいつも映画の逸楽の都だった。しかしその巨匠たちの新作にドキドキすることはもう叶わない。

 そんな中で、『木靴の樹』や『聖なる酔っぱらいの伝説』のエルマンノ・オルミは最後の現役マエストロとして、厳しく、しかしおおらかに大地に根を張って今も映画を作っている。それだけでも映画の神様に感謝したいくらいだ。ほとんど人工的な光を使わず、カメラはどこまでも冷たい北イタリアの冬の気配をとらえる。ガラス窓から漏れるわずかな光に照らされたジョヴァンニの妻の横顔が現れたときは、フェルメールの絵を思わせる光と影の美しさに息が止まった。光には幸福が、影には哀切が宿る。絶え間なくスクリーンから反射する光の粒子を浴びて恍惚となりながら、「これが映画だ!」と歓喜にふるえた。思えば、映画はいつからお子様のものに成り下がってしまったのか。こんな美の味わいを味わい尽くして、わたしたちは大人にならなければいけない。この映画を私たちは日本で配給するだろう。冒頭5分でそれを確信していた。

 映画の原題は、『IL MESTIERE DELLE ARMI』。電話で塩野七生さんに邦題を相談すると、そのときまだ映画をご覧になってなかった塩野さんは「直訳すると『戦争屋』ね」とおっしゃった。もちろんそんな邦題は誤解を招くので付けられなかったが、映画を何度も見ると、それも納得できる。戦争屋、宗教屋、私の場合は映画屋だけれど、職業を正しくまっとうするのは、楽じゃない。主人公ジョヴァンニの美しさは、淡々と自分の職業を自身の良心に従って生きた潔さだろう。本当にいい男だな、と思う。私が男でも、きっと惚れただろう。

 「黒隊のジョヴァンニ」と呼ばれた実在のショヴァンニ・デ・メディチは、幼い頃から手がつけられない腕白で、お守役のミケランジェロにも匙を投げられ、成長するに従って兵の采配に抜きん出た才能を示し、17歳で騎兵隊長となって最前線を転々とし、妻と息子を愛し、たくさんの愛人を幸福にし、28歳で散った。
 オルミ監督は、そんなジョヴァンニを抑制のきいた演出で硬質に象りながら、ふとした拍子にその内面の危うさを溢れさせて私たちをノックアウトする。エロティシズムとは、文化の産物だ。その意味で、イタリアの奥の深さを思い知らされる。性的な快のありかを芸術に再構築したのは、ルネサンスの巨人たちではなかったか。

 映画の舞台となった中世の宮廷都市マントヴァは、今でもそんな芳醇な文化の香りを放っている。フェデリコ・ゴンザーガ公に重用されたジュリオ・ロマーノの手になるマニエリスム建築の代表作「馬術の中庭」が、ジョヴァンニと愛人の出逢いのシーンで最高の演出効果を発揮する。一陣の風に揺れるテーブルクロス、誰もいなくなった広場。こんなお膳立てがあっては、恋が成就しないわけがない。72歳のオルミ監督も、なかなかどうして、恐るべし。イタリアの今に残る財宝をふんだんに得て、新たな21世紀の宝物ともいうべき映画を作ってくれた。
 
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