12世紀頃からのヨーロッパには小都市国家が乱立していた。政治的権力の頂点であるロー法王と神聖ローマ皇帝の権力争いに準じ、それぞれが教皇派と皇帝派に別れ争いを繰り返していた。表面上はローマ法王に忠誠を誓いながら、裏ではゲルマン兵力で進軍してくるローマ皇帝に便宜を図るなど、裏切りと策略が交錯し同盟国はもとより親兄弟でも信頼できない状況だった。
都市間だけではなく身分や貴族の家柄によっても二派に別れ、街の広場でも些細なきっかけから多くの血が流されていた。有名な『ロミオとジュリエット』も対立のする貴族間の争いが引き起こした悲恋を描いたものである。
中世ヨーロッパの生活はキリスト教の影響を多大に受けていて、離婚は教義上認められていなかった。男性が庶子を持つことは慣習化していたが、女性が夫の他に情夫を持つと姦通という罪に当たった。夫は不義を働いた妻およびその相手を処刑することができた。姦通や男色など性的にキリスト道徳に照らして邪悪な行為は殺人と同一視されていたからだ。
つまり姦通が明らかになった時点でその二人には死が待っている。処刑の方法はきわめて残忍で、地下牢に幽閉し拷問の末斬首、あるいは生きたまま漆喰の壁に塗りこめることもあった。
政略結婚などが多かったこの時代、結末を覚悟しながらも本当の愛を求め、恋に走った女性も少なくなかったという。

元来メディチ家には国父コジモや豪華王と呼ばれたロレンツォ イル マニフィコなどの兄脈の血筋とこの映画の主人公であるジョヴァンニの弟脈の2系列ある。弟脈はどちらかというとそれまで“その他”の役職に追いやられ、権力からは遠かった血筋だ。ジョヴァンニの父親も統治者というより美男子として名をはせていた。一方母親はルネサンスにその名を残す女傑カテリーナ・スフォルツァ。領土フォルリを守るためチェザーレ・ボルジア相手に篭城し、打ちこまれた大砲の弾に卑猥な中傷を書いて送り返したという逸話が残っている。何回目かの結婚(秘密結婚もしていたので文献によって回数が異なる)の後、生まれたのがジョヴァンニだ。ふたりが他界し、ジョヴァンニはロレンツォ豪華王の娘に預けられるが、母親譲りの性格で幼いころは特に手がかかったようだ。彼の息子は後のトスカーナ大公となるコジモ1世。修道僧サヴォナローラの宗教政治によって追放されたフィレンツェに父の黒い甲冑を纏って入場し、人々の喝采を浴びたと伝えられている。ジョヴァンニは28歳の若さでこの世を去るが、コジモ1世以降、弟脈だった彼の血筋がフィレンツェの支配者たるメディチ家を引き継いでいくことになる。
 
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