華々しくイタリア映画の魅力を世界に知らしめたネオレアリズモの映画だが、1950年代に入ると停滞ともいえる状況に陥っていった。終戦から数年が経過して復興が進み、人々の間に戦後意識が薄れていくなか、どちらかというと「暗い」映画が多かったネオレアリズモの映画は興行的に不振を見せ、アメリカ映画の隆盛がそれに追い打ちをかけた。
 しかし、この不振はネオレアリズモという父から新たに子どもが生まれる胎動の時期だったといってもいいだろう。1952年から60年にかけての「イタリアの奇跡」と呼ばれる経済復興と正比例するかのように、第一期ネオレアリスタたちと共に働いた作家が、新しい局面を見せることになる。
アントニオーニの長編劇映画第一作『ある愛の記録』(1950)。ネオレアリズモが触れてこなかったブルジョワの世界を描き、人物の内面を掘り下げた本作をきっかけにアントニオーニは知的レアリズモと呼ばれる。
 中でも映画界に衝撃を与えたのはフェデリコ・フェリーニとミケランジェロ・アントニオーニの登場だった。助監督や脚本家としてロッセリーニやヴィスコンティ、ブラゼッティなどと映画作りをしてきた彼らはネオレアリズモから出発しているが、人間の内面にクローズアップして独自の美的感覚に貫かれた画面をつくり、60〜70年代を牽引する代表的な監督となる。また、この2人の登場で、映画が従来の集団制作的なものではなく、「個人作家」の作品となる潮流が出てきた。
 1960年のカンヌ映画祭では、イタリア国内で大スキャンダルを巻き起こしたフェリーニの『甘い生活』がパルム・ドール、アントニオーニの『情事』が批評家賞他を受賞している。ネオレアリズモを超越した新しいイタリア映画は世界の場で決定的な評価を受けたわけだが、これを境に60年代は興行的にも安定した時期に入るため、1960年はイタリア映画再生の年といわれている。
 奇しくも同年に制作されたのはフランスのジャン=リュック・ゴダールによる『勝手にしやがれ』。ゴダールやフランソワ・トリュフォー(『大人は判ってくれない』(1959)他)などのヌーヴェル・バーグに大きな影響を与えたのも、ネオレアリズモの父といわれたロッセリーニだった。トリュフォーはロッセリーニの助監督をしていたし、ゴダールはロッセリーニの『イタリア旅行』からインスパイアされて『勝手にしやがれ』を撮ったと公言している。イタリアが蒔いたネオレアリズモという種がヌーヴェル・バーグという新しい芽を生み、それがまた他の新しい芽を生み出していることはいうをまたない。ちなみにこの頃日本では、大島渚、篠田正浩を中心とする松竹ヌーヴェル・バーグが活躍している。
 60年代以降のイタリア映画は、フェリーニやアントニオーニ、そしてヴィスコンティの活躍をベースに、才能豊かな監督を多数輩出した時期でもあった。ピエロ・パオロ・パゾリーニ(『マンマ・ローマ』1962『奇跡の丘』1964他)、タヴィアーニ兄弟(『火刑台の男』1962『父/パードレ・パドローネ』1977他)、ベルナルド・ベルトルッチ(『革命前夜』1964『暗殺の森』1970他)、マルコ・ベロッキオ(『ポケットの中の握り拳』1965『肉体の悪魔』1986他)、エルマンノ・オノミ(『婚約者たち』1963『木靴の樹』1978他)といった作家が出現し、イタリア映画の世界をさらに深いものとした。
 忘れてはならないのがイタリア製西部劇、マカロニ・ウエスタン(欧米ではスパゲッティ・ウエスタンと呼ばれている)だ。1961年の黒澤明『荒野の用心棒』に触発され制作したセルジョ・レオーネの『荒野の用心棒』(1964)は爆発的なヒットとなり、その後10年間で500本以上もの映画が制作されたといわれるほどの大ブームを引き起こした。マカロニ・ウエスタンは「イタリア映画のあだ花」などといわれもしたが、近年では再評価の向きもある。
セルジョ・レオーネ『続・夕陽のガンマン』(1966)。あまた制作されたマカロニ・ウエスタンの中でも、クリント・イーストウッド主演にエンニオ・モリコーネ音楽というゴールドコンビはスタンダードといえる。
グロテスク、ブラックユーモアといった枕詞がつくマルコ・フェッレーリの『男と5つの風船』(1964-68)。他の作品に『猿女』(1964)、『最後の晩餐』(1973)、『ありふれた狂気の物語』(1981)などがある。
 サイレント時代からイタリア映画の歴史を見てくると、その繁栄が経済・社会の状況と密接にリンクしているようだ。あまり芳しい活躍のなかった80年代を経て現在、ベルナルド・ベルトルッチやジュゼッペ・トルナトーレといった重鎮の監督の安定した活躍に加え、ロベルト・ベニーニがアカデミー賞、ナンニ・モレッティがパルム・ドールを受賞するなど、イタリア映画の国際的な活躍が再び目立ち始めている。映画界にもグローバリゼーションの波が押し寄せていると批判の声も聞かれる昨今だが、地方独自のコミュニティやアイデンティティを大事にするイタリアからは、今後も「イタリア」を感じさせてくれる映画が生み出されることを願う。そしてまた映画史を塗り替えるような作品で、私たちを驚かせてくれることを。
※参考文献
『イタリア映画大回顧』カタログ 朝日新聞社、『映画とは何か 。』アンドレ・バザン著 美術出版社、『世界の映画作家25』キネマ旬報社、『世界の映画作家32』キネマ旬報社、『イタリア映画を読む』 柳澤一博著 フィルムアート社、『アントニオーニ 存在の証明』カルロ・ディ・カルロ/ジョルジョ・ティナッツィ著 フィルムアート社、『マカロニアクション大全』 二階堂卓也著 洋泉社