ネオレアリズモの誕生を告げたのは、ロベルト・ロッセリーニ『無防備都市』(1945)だった。イタリアは、長いムッソリーニのファシズム政権を経て、連合軍による解放までナチス・ドイツの占領下にあったが、戦禍の混乱の中、ナチス・ドイツに抵抗するローマの人々の生々しい現実を、スタジオではなく街に出てロケ撮影し、素人俳優を起用して見事に描いたのである。
 1945年9月にイタリアで公開されたこの映画は大ヒットとなり、続いて上映されたニューヨーク、カンヌ映画祭、パリでも熱狂で迎えられる。人々は「これこそ新しい(=ネオ)リアリズム(=レアリズモ)だ」と絶賛し、それから「ネオレアリズモ」という言葉が定着するようになった。
 ネオレアリズモの起源とされる映画には、ルキノ・ヴィスコンティ『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1942)や、ヴィットリオ・デ・シーカ『子どもたちは見ていた』(1943)など諸説あるが、誕生を世界に知らしめた『無防備都市』がネオレアリズモの原点とされている。
 ネオレアリズモの中心的な役割を担ったのはロッセリーニ、ヴィスコンティ、デ・シーカだった。ロッセリーニの『戦火のかなた』(1946)『ドイツ零年』(1947)、ヴィスコンティの『揺れる大地』(1948)『ベリッシマ』(1951)、デ・シーカの『靴みがき』(1946)『自転車泥棒』(1948)はいずれも初期ネオレアリズモの傑作とされる。こういった傑作がつくられるにつれ、ネオレアリズモの作家は、ネオレアリスタと呼ばれるようになった。また、ピエトロ・ジェルミ、アルベルト・ラットゥアーダ、ジュゼッペ・デ・サンティス、ルイジ・コメンチーニといった才能豊かな監督が次々に現れ、それぞれにみな、新しい形のレアリズモ=リアリズムを追求していく。
 新しいリアリズムが、なぜこれほどまで受け止められたのだろうか。大戦中、商業映画として、アメリカではスターシステム的映画、ドイツでは唯美主義の映画が隆盛だった。イタリアではメロドラマ、プチ・ブルジョワ的ライト・コメディなどが大半を占めていた。こういった状況に対し、イタリア国内の映画批評家たちは批判の目を向け、新しい時代の映画には何が必要なのか盛んに議論していたが、そこで求められていたのは、形式主義でもなく、虚飾でもなく、「リアル」ということだった。
 そして大戦後の社会において「リアル」なものとは、反ファシズム、貧困や社会問題だったのである。とかくネオレアリズモというと社会的貧困や思想・倫理の面だけクローズアップされるが、そのベースには「リアル」なものへのまなざしがあることを忘れてはならないだろう。現実は多様な顔を持っているが、ネオレアリズモはそれをありのままに見つめ、映画という形にしようとしたから、現実の多面性を反映するように、スタイルやテーマなど様々な作品が生まれたのである。
※参考文献
『イタリア映画大回顧』カタログ 朝日新聞社、『映画とは何か 。』アンドレ・バザン 美術出版社、「イタリアン・ネオリアリズム特集」シネクラブ研究会、『世界の映画作家25』キネマ旬報社、『世界の映画作家32』キネマ旬報社、『イタリア映画』今村太平 早川書房