天童市とマロスティカ市は、「人間将棋」と「人間チェス」という古くからの祭りが縁で姉妹都市を結んでいます。この姉妹都市提携のきっかけをつくったのは、サルバトーレ・カリオ・デル・ヴェスコヴォさんという一人のイタリア人でした。「太陽とオリーブの島、アーモンドの白い花が咲き誇り、オレンジの実る島」という美しい形容詞で呼ばれるシチリアのメッシーナ県庁で、シチリア・日本交流顧問を務めるカリオさんに、提携のいきさつをうかがいました。
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−どうしてマロスティカ市と天童市の姉妹都市提携に関わりを持つようになったでしょうか?
カリオさん(以下K):「両市との関係は、35年ほど前にベネト州で観光の仕事をしていた時、友人に連れられてマロスティカ市の『人間チェス』を見に行ったことに始まります。この祭りは、マロスティカ領主の娘に恋をした二人の騎士に、決闘で決着をつけることを許さなかった領主がチェスで勝敗を決めさせ、勝者に姉との、敗者に妹との結婚を許したという15世紀の実話に基づいたもので、平和へのメッセージが込められています。人間チェスを演じる人々が当時のコスチュームを着ていたのが印象的でした。」
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−天童市の人間将棋を知ったきかっけは?
K:「16〜17年前に仕事の都合で仙台に住んでいた頃、偶然知人から山形県で『人間将棋』という祭りが行われていることを聞きました。『あれっ、どこかに似たような祭りがあったな』と考えてみたら、マロスティカ市の『人間チェス』だったんです。人間将棋は、秀吉が関白秀次を相手に、小姓と腰元を駒に見立て野試合を楽しんだという故事にならって始められた、やはり歴史にまつわる祭り。詳しく知りたいと思い、天童市に手紙を書いたところ、市長からの誘いで祭りを見に行くことに。桜の咲くピンク色の空の下で行われる人間将棋を見て、その美しさに深く感動しました。」
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−ところでなぜ秀吉が京都で行っていた人間将棋が天童市へ?
K:「江戸時代、山形県は最上川舟運によって米や口紅の原料である紅花を京都へ運んでいたため、京都の文化に大きな影響を受けていました。天童の将棋駒づくりは、幕末に天童を治めていた天童織田藩で、藩の財政を支えるため家臣に内職として将棋駒づくりを奨励していたことが起源となっていますが、京都で将棋が盛んだったことも関係しているんでしょうね。以来、天童市は『将棋駒のまち』として知られるようになり、まちおこしのイベントのひとつとして人間将棋が開催されることとなったのです。」
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−どのように姉妹都市の提携へ話が進んだのでしょうか?
K:「天童市とマロスティカ市にそれぞれの祭りのことを伝えると、それは驚いた様子でした。遠く離れた日本とイタリアで、同じようなことがほぼ同じ年代に行われていたなんて、誰も想像していませんでしたから。これがきっかけで天童市とマロスティカ市との間に深いつながりができ、平成元年4月22日、姉妹都市の提携に至りました。」
−提携後はどのような交流をされていますか?
K:「お互いの都市で公式訪問や視察見学が行われています。もちろん人間将棋と人間チェスへも両都市の人々が訪れています。平和へのメッセージを持つ人間チェスは、非常に関心がもたれており、マロスティカ市民10,000人の内、毎回1000人もがチェスの駒の役などになって祭りを盛り上げています。人間将棋ももっと多くの市民が参加する祭りになるといいですね。祭りという偶然が天童市とマロスティカ市を結び付けてくれましたが、今後はそれ以外のところでももっと市民交流を深め、両都市がますます発展していくことを願っています。」
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≪マロスティカ市≫
ヴェネツィアの北西約80kmに位置し、人口は10,000人ほど。中世の歴史と文化が残る風光明媚な街で、さくらんぼ、りんご、ぶどうなどの果物の産地としても知られています。西暦偶数年9月には、15世紀のコスチュームで演ぜられる人間チェスが開催されます。 |
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≪天童市≫
東は奥羽山脈、西は朝日連峰に囲まれ、山形県のほぼ中央に位置します。さくらんぼや桃、りんごなどの果樹栽培が盛ん。全国の将棋駒の約95%を生産する「将棋駒の街」として知られ、毎年4月下旬には2,000本の桜が咲き乱れる舞鶴山山頂で人間将棋が開催されます。 |
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