ダ・ヴィンチを巡るイタリアの旅
ルネサンス芸術のみならず、科学、医学、建築学とあらゆる分野に渡って才能を発揮した天才レオナルド・ダ・ヴィンチ。逸話・伝説に事欠かない彼の足跡を追って、イタリア各地に残るダ・ヴィンチゆかりの地をご案内しましょう。
ヴィンチ Vinci =原点=
 
レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年4月15日、トスカーナ州ヴィンチ村で生まれました。フィレンツェから西へ車で約1時間半、電車ならエンポリまで行ってそこからバスで約30分のところにある小さな村。
ダ・ヴィンチの生家は村から3kmほど北、オリーブ畑に囲まれた高台にあります。裕福な父を持ちながらも婚外子として生まれた彼は寂しい幼少時代を送ったと伝えられています。ひとりで生家の周りの草花や昆虫などに触れるうちに、人並み外れた観察力が養われたとも言われています。
 
村の中心には中世の城を改装した「レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館」があります。館内にはダ・ヴィンチが残した手稿を元に復元されたハングライダーやヘリコプターなどの模型が展示されています。模型は近年に作られたものですが、実際のスケールで目にすると、ダ・ヴィンチのひらめきが何世紀も先を行っていたことを実感できます。まさに天才の原点を感じられる場所と言えるでしょう。
フィレンツェ Firenze =成長=
 
ダ・ヴィンチは16歳の頃から当時フィレンツェで一番の画家と言われていたアンドレア・ヴェロッキオの工房に入り、修業を始めました。ボッティチェリやペルジーノなどの出入りする花形工房で腕を磨き、25歳の頃には自らの工房を持ったと言われています。ルネサンスの中心地で様々な刺激を受けながら、建築や医学など他の分野でも才覚を現し始めました。ウフィッツィ美術館にはダ・ヴィンチ青年時代を偲ばせる瑞々しい絵画3作品が展示されています。

50歳を前に再びフィレンツェに戻ったダ・ヴィンチは芸術家としてだけでなく、軍事、土木建築などの分野でも才能を発揮します。パリ・ルーブル美術館に所蔵される有名な肖像画『モナ・リザ』に着手したのもこの頃だと言われています。ちなみに『モナ・リザ』の背景に描かれている川はフィレンツェを流れるアルノ川だと言われ、一説によるとこの背景にはダ・ヴィンチと『君主論』を著した政治思想家マキャベリが画策した「アルノ川水路変更計画」の謎が隠されているとも言われています。
ミラノ Milano =活躍=
 
30歳の頃、ダ・ヴィンチはミラノへと活躍の場を移しました。ミラノで最も有名な作品は世界遺産にも指定されているサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の『最後の晩餐』。映画『ダ・ヴィンチ コード』で一躍注目を集めるこの大作は、ダ・ヴィンチが取り入れた新画法が災いし、完成直後から劣化が始まりました。その後も戦争のため馬小屋として使われたり、爆撃を受け風雨にさらされたり、さらに後世の不十分な修復もあってオリジナルが特定できないほど傷んでしまいました。しかし20年に及ぶ修復を経て奇跡の復活を果たし、現在では色鮮やかな巨匠の筆跡を確認することができます。基本的に鑑賞するには予約が必要。温度・湿度管理のため、一定の人数ごとに区切られ、前室で待機した後、感動の対面が待っています。一瞬ガランとした空間に戸惑いますが、壁画の正面に立つとイエスが「この中に私を裏切る者がいる」と言ったその瞬間に自分も居合わせたかのような不思議な感覚にとらわれます。ダ・ヴィンチが伝えたかった本当メッセージはこの作品の前に対峙した人それぞれに送られるものなのかもしれません。
ミラノにはダ・ヴィンチの科学的な研究の成果を集めた「レオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館」があり、オペラの殿堂スカラ座前の広場にはダ・ヴィンチの像が建っています。ミラノ公イル・モーロ(ルドヴィコ・スフォルツァ)らに自らを売り込み、世に認められようとした天才ダ・ヴィンチ。ミラノは彼の野心と活躍の跡を多く残しています。
ローマ Roma =尊敬=
生涯、自分の才能を認めてくれるパトロンを求めさまよったダ・ヴィンチは、フランス中部アンボワーズ郊外で客死します。彼は同世代に活躍した芸術家としては唯一人ヴァチカンから招かれませんでした。彼の作品はあまりに前衛的で、当時の支配者の好みに合わなかったためとも言われています。主たる作品もヴァチカン美術館所蔵の『聖ヒロエニムス』ぐらいで、ローマでは彼の作品をあまり目にすることができません。
しかし、ダ・ヴィンチがいかにイタリア人から尊敬されているかを示すものがローマにはあります。まず、空港の名前。フィウミチーノとも呼ばれるこの空港の正式名は「レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港」。首都ローマの空の玄関口の名前として選ぶほど、イタリアにとってダ・ヴィンチは世界に誇る偉人なのです。
 
もうひとつ、美の殿堂ヴァチカンに同じルネサンスの画家が残した1枚の壁画があります。
署名の間、ラファエロの手による『アテネの学堂』。幅8メートルもあるこの壁画には、50名を越える古代ギリシャの賢人たちの姿が描かれています。画面中央右手の指を天に示しているのがプラトン。ダ・ヴィンチをモデルに描かれたと言われています。プラトンと意見を交わしているアリストテレスはミケランジェロがモデル(描かれた顔が気に入らず、ミケランジェロ自身が画面手前にヘラクレイトスの姿を借りて自らを書き足したとも)。
いずれにせよ、ラファエロは自分の肖像は右隅の人垣の中に紛れ込ませ、壁画の中心にふたりの先人を描き込みました。ルネサンスの寵児と言われるラファエロの敬意が、そこに込められることは疑いありません。こうやってダ・ヴィンチは今日もローマ・ヴァチカンの地で、世界中の人に畏敬を持って見上げられているのです。
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