| ルネサンス芸術のみならず、科学、医学、建築学とあらゆる分野に渡って才能を発揮した天才レオナルド・ダ・ヴィンチ。逸話・伝説に事欠かない彼の足跡を追って、イタリア各地に残るダ・ヴィンチゆかりの地をご案内しましょう。 |
ダ・ヴィンチの生家は村から3kmほど北、オリーブ畑に囲まれた高台にあります。裕福な父を持ちながらも婚外子として生まれた彼は寂しい幼少時代を送ったと伝えられています。ひとりで生家の周りの草花や昆虫などに触れるうちに、人並み外れた観察力が養われたとも言われています。 |
||||||
|
||||||
50歳を前に再びフィレンツェに戻ったダ・ヴィンチは芸術家としてだけでなく、軍事、土木建築などの分野でも才能を発揮します。パリ・ルーブル美術館に所蔵される有名な肖像画『モナ・リザ』に着手したのもこの頃だと言われています。ちなみに『モナ・リザ』の背景に描かれている川はフィレンツェを流れるアルノ川だと言われ、一説によるとこの背景にはダ・ヴィンチと『君主論』を著した政治思想家マキャベリが画策した「アルノ川水路変更計画」の謎が隠されているとも言われています。 |
||||||
|
||||||
|
||||||
| 生涯、自分の才能を認めてくれるパトロンを求めさまよったダ・ヴィンチは、フランス中部アンボワーズ郊外で客死します。彼は同世代に活躍した芸術家としては唯一人ヴァチカンから招かれませんでした。彼の作品はあまりに前衛的で、当時の支配者の好みに合わなかったためとも言われています。主たる作品もヴァチカン美術館所蔵の『聖ヒロエニムス』ぐらいで、ローマでは彼の作品をあまり目にすることができません。 しかし、ダ・ヴィンチがいかにイタリア人から尊敬されているかを示すものがローマにはあります。まず、空港の名前。フィウミチーノとも呼ばれるこの空港の正式名は「レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港」。首都ローマの空の玄関口の名前として選ぶほど、イタリアにとってダ・ヴィンチは世界に誇る偉人なのです。 |
||||||
署名の間、ラファエロの手による『アテネの学堂』。幅8メートルもあるこの壁画には、50名を越える古代ギリシャの賢人たちの姿が描かれています。画面中央右手の指を天に示しているのがプラトン。ダ・ヴィンチをモデルに描かれたと言われています。プラトンと意見を交わしているアリストテレスはミケランジェロがモデル(描かれた顔が気に入らず、ミケランジェロ自身が画面手前にヘラクレイトスの姿を借りて自らを書き足したとも)。 いずれにせよ、ラファエロは自分の肖像は右隅の人垣の中に紛れ込ませ、壁画の中心にふたりの先人を描き込みました。ルネサンスの寵児と言われるラファエロの敬意が、そこに込められることは疑いありません。こうやってダ・ヴィンチは今日もローマ・ヴァチカンの地で、世界中の人に畏敬を持って見上げられているのです。 |
||||||
![]() |