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破天荒な人生を送ったことでも知られる彼は、1571年ミラノ近郊のカラヴァッジョ(ミラノで生まれたと言う説も有力)に生まれる。若くしてミラノで画家修業を始め、1590年頃にローマに移った。折しも、ローマの上流階級の間では、絵画の収集がブームになりつつあった。それまで絵画といえば教会の壁画や祭壇画がほとんどだったのが、油彩による肖像画、静物画といった新しい分野が生まれてきたところだったからである。カラヴァッジョは、その斬新な画風に加え、そうした時流にも助けられて、次第に名を上げてゆく。
16世紀後半から18世紀初頭にかけてヨーロッパを席巻したバロックの嵐。「ゆがんだ真珠」を意味するその呼称にふさわしく、バロックは一般に、ルネサンス期の整然とした理想美とは一線を画した、激しく劇的な表現が特徴とされる。そのバロックの、絵画における代表格がミケランジェロ・メリージ、通称カラヴァッジョそのひとなのである。
彼の革新性は、大胆な光と影の明暗法(キアロスクーロ)、徹底したリアリズム、人間味ある分かりやすい場面設定などにある。かつてない明暗のコントラストは、自然光ではなく、人工の光によって構成されている。カラヴァッジョの画面の中で、光と影は人間の内面の喜びと哀しみを象徴する役割をも果たしているのである。また、宗教画や歴史画、肖像画こそ第一級の絵画と見なされていた時代に、彼が力を入れて描いたのが、静物だった。画面の傍役であるはずの花や果物が、彼の絵では細部に至るまでリアルに描かれている。彼がイタリア絵画史上、初の静物画家とも言われる所以だ。また、教会からの依頼を受けて描いた宗教的主題を扱った作品を見ると、カラヴァッジョの描くキリストやマリア、聖人たちは、従来になく生々しく人間的なのだった。
新時代の画家として熱狂的に迎え入れられたカラヴァッジョだったが、持ち前の気難しく激情にかられやすい性格のためか、1606年に殺人事件を起こし、ローマを去ることを余儀なくされる。ナポリからマルタ島、シチリアへと逃亡の生活を続けながらも、制作は怠らなかった。イタリア各地に遺された作品からも彼の足跡を辿ることができる。晩年には、恩赦を期待して再びローマを目指すが近郊で逮捕され、釈放された後はトスカーナに向かい、熱病のため同地で没する。享年わずか38歳であった。
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| (文:田中 樹里)
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