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「お疲れ様です」。毎日職場で耳にするこの言葉。しかしエドアルドさんはこの言葉に違和感を感じるという。もしそう言われたら「疲れてないけど。。疲れてなくちゃいけないの?僕、疲れたくないし。。」と思うらしい。疲れるまで働いていないといけないように聞こえるのだそうだ。
イタリア語に翻訳するときは、これに相当する言葉が存在しないので、同僚であれば「やあ」だったり「元気?」だったり、上司であれば「こんにちは」や「こんばんは」、出かけるときは、あえて何か言うのであれば「じゃ、また後でね」、退社するときは「さようなら。また明日!」、上司やボスが部下に対して言う場面では「サンキュー。仕事してくれてありがとう!」みたいな内容に訳すという。
もちろん、日本人が「お疲れ様です」と言うとき、本当に疲れていることを意識して言っているとは思えない。彼らのように「こんにちは」程度の意味合いで言っているのがほとんどだろう。でも“慰労”の意味合いがあることは否めない。言葉はその文化の中で生まれるもの。深い意味はないようでも、特に“あいさつ言葉”にはその背景がたっぷりと含まれているように思う。
「疲れたくないよ。疲れているなんてハッピーなことじゃないじゃないか」というエドアルドさんのルーツには、やっぱり“人生は楽しくなくっちゃ”という発想が根強くあるようだ。「日本人はやっぱり仕事メインの生活を送っている人が多いね。それが楽しいのならいいけれど、なんかいつも無理しているように見える。そんなに焦らないで、もっとエンジョイすればいいのにって思う」という。
私は最近“ことだま”パワーを実感している。“病は気から”という言葉があるが、“気は発した言葉から”とも思っている。日々発している言葉、浴びている言葉が自分の身体に強く影響しているのを感じるのだ。以前に読んだ「水は答えを知っている」という本で、水に音楽や言葉を聞かせ、その内容によって水の結晶が美しくも醜くも変化するという事実が紹介されていた。私たちの体内のほとんどは水分。よって私たちが発する言葉、浴びる言葉が体や思考に影響していることを否めないという内容だった。
毎日発したり浴びたりしている“あいさつ言葉”は特に影響が大きい。現代日本人が言う「お疲れ様です」に深い意味がないとしても、毎日「お疲れ様です」を言ったり聞いたりしていると“仕事=疲れるもの”と潜在意識に組み込まれてしまう気がする。そうなるとなおさらエドアルドさんの目に「人生を楽しんでいるように見えない。なんかいつも無理してる」と見えるのだろう。
言葉はそれ単体で存在するものではなく、長い歴史の中で私たちの先祖の文化、価値観を基に作り上げられてきたもの。単なるツールと思ってきたが、見えない部分で私たちの国民性(マインドや思考回路)を反映するとともにそれに影響を与え続けている奥深い存在。ある言語を習得し、いや体得して自分の言語として違和感なく使いこなせるようになったとき、私たちの思考や気持ちにも変化が及んでいるのではないだろうか。 |
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岩波えり子
「日本人は電車の中でだれも話しかけてくれない」という、あるイタリア人の言葉が印象に残る。
イタリアの電車の中っていったい?澄みきった青い空、おおらかな人々、おいしい料理に漠然と憧れるイタリア関連超素人。 |
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