La Settimana Italiana 政治・経済
社会・文化
このコーナーではイタリアの政治、経済、社会、文化における注目ニュースをお届けしています。 毎週水曜日更新
政治・経済[2002/12/18]
■ イタリアのテロ事件 日本も絡む複雑な事情

 緊張した世界情勢を反映してか、イタリアでもこのところ爆弾事件が相次いでいる。死傷者が出るほどの規模には至っていないが、ジェノバ警察署前、ライ国営放送前と、テロ活動家は国家体制に逆らうべくシンボル的なものばかりを狙っているようである。

 そんな中、12月12日に、ミラノでは33年前に起きたフォンターナ事件の大惨事をしのぶ追悼式が被害者家族の会を中心に行なわれた。

 イタリアの70年代は「鉛の時代」(名前の所以は鉛=銃弾)と呼ばれ、国民が次々に起こるテロ行為に震撼していた。その引き金となったのが、33年前の1969年12月12日に起きた「フォンターナ事件」で、この事件は今もなお日伊間の外交問題に暗い影を落としている。


「フォンターナ事件」
 1969年12月12日16時過ぎ、ミラノのドゥオーモ付近フォンターナ広場にある農業銀行内に仕掛けられた爆弾が炸裂、死者16人、負傷者84人の大惨事が起こった。さらに、同日同時刻、イタリア各地ローマをはじめ4ヶ所で5発の爆弾が炸裂。イタリアで最初の同時多発無差別テロとなった。

 60年代後半といえば、共産主義国ロシアと資本主義国アメリカとの狭間に世界がゆれ動いた冷戦のさなか。ヨーロッパ各国では社会変革を希望する学生運動が絶えず、国家全体が共産主義に傾倒していく雰囲気にあり「暑い秋」と呼ばれる労働者のストが相次いで行なわれた。そして、この大惨事が勃発。過激な学生運動の運動家やアナルキストが重要参考人とされたが証拠不充分として釈放された。

 この事件の目的は、「暑い秋」労働闘争で過激な運動を繰り広げる活動家の犯行に見せかけることで、当時のルモール政権に「非常事態緊急措置令」を公布させようとしたと考えられている。この緊急措置令が公布されていれば、「共産党の排斥」「労働組合の縮小」「警察の権力拡大」が行なわれ、間違いなく独裁政権への道を突き進んだであろう。結果的にはこの「非常事態緊急措置令」は公布されなかった。しかし、さらに73年の5月17日にミラノ警察前でルモール内務大臣(当時)を狙った爆破テロが起こり、数名の死者を出すこととなった。

 その後、犯罪者との司法取引が行なわれるようになり、地下組織の内部事情が浮き彫りに。フォンターナ広場事件については日本人がかかわっているとの証言があり捜査は思わぬ展開をみせた。左派の過激派グループによるものではなく、左派に見せかけるための右派過激派グループの犯罪だというのである。2002年2月から新たな裁判が始まり、その日本人には昨年の6月(地方裁判所)に終身刑の判決が下されている。

 彼の名前はデルフォ・ゾルジ。ヴェネツィア出身であり、熱心な極右活動家だったという。その後70年代初頭に在日イタリア人の設立した奨学資金制度により来日、80年代には日本女性と結婚し日本を拠点に生活。結婚後の1989年12月18日、日本国籍を取得しており全ての意味において日本の法律に守られている日本人である。彼の日本名は波元路伊、ハーゲン・ロイと読む。ハーゲン氏は日伊間の貿易で成功した人物で南青山に住んでいるという。

 イタリア政府は正式に身柄引き渡しを要求したものの、日本国は要求を拒否。現在に至っている。彼は無実を主張し控訴しているが、司法上だけでなく外交上の問題も絡んでくることから両国とも慎重である。33年前の真実が明るみになるまでには、かなりの年月を要するだろう。
記事:山田裕美
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