イタリアが誇る伝説的なレーシングドライバー“タツィオ・ヌヴォラーリ”の没後50周年イベントが、東京・お台場のシェル・ミュージアムで開催中(4/27〜5/30)。会場には貴重な車や写真等多くのアイテムが飾られ、タツィオの偉業を紹介している。
Tazio Nuvolari タツィオ・ヌヴォラーリ
(1892-1953)
タツィオ・ヌヴォラーリは、1892年、北イタリアのマントヴァから24kmほど離れたカステル・ダーリオという小さな村で生まれた。 幼い頃から乗馬好きだったタツィオは、叔父の影響で、やがて誕生して間もない飛行機と自動車の魅力に惹かれていった。まず自転車によってレースの楽しみに引き込まれていった彼は、1920年に二輪車によりモーターレースの世界に足を踏み入れている。翌21年には四輪車のレースにも駒を進め、同年5月にはガルダ湖のレースで初優勝を果たしている。
ヌヴォラーリのライディング・スタイルは決して他のモノには真似できない、恐れを知らぬ勇猛果敢なものであったという。それゆえ彼の挑戦はしばしば事故に繋がり、体中のありとあらゆる個所を骨折した。だが、タツィオ・ヌヴォラーリは骨折ぐらいでレースをあきらめることはしなかった。
彼の不屈の闘志を示すこんなエピソードが残っている。ある時、アルファ・ロメオのテスト中にクラッシュして瀕死の重体を負ったタツィオは、全身を包帯でぐるぐる巻きにされたうえ、医師から30日間の安静を宣告されてしまった。だが、事故から7日後には二輪車のレースに出場すべく再びサーキットに戻ったばかりか、優勝を果たしてしまった。
その後、ヌヴォラーリは1930年に事実上のアルファ・ロメオのワークスチームであったスクーデリア・フェラーリに迎えられた。ヌヴォラーリの勝利は1937年にアルファ・ロメオを離れるまでのこの時期に挙げたものが大半である。
なかでも1935年にニュルブルクリンクで開催されたドイツGPにおける勝利は、レース史上に残る驚異的なドラマとして今なお語り継がれている。明らかに時代遅れとなっていたアルファ・ロメオ・ディーポBに乗ったタツィオは、国家的な支援に支えられたメルセデス・ベンツやアウトウニオンのドイツ勢を的に回し、孤軍奮闘しなければならなかった。パワーの差が150馬力、最高速では50km/hも劣るマシーンでは、さすがの名手ヌヴォラーリを持ってしても勝利することは不可能にみえた。だが、ヌヴォラーリは決してレースを諦めることはなく、観客の目を釘付けにする勇猛果敢なドライビングによって見事に逆転優勝を果たしたのだった。
当時としても小柄な体に長い顔、そして鋭い眼光をもつヌヴォラーリは、いつも黄色いウェアと皮のベストを愛用し、その胸にはTNのイニシャルと小さい亀が刺繍されていた。この亀のマークは飛行家で詩人のガブリエーレ・ダヌンツィオが、「最も速い男に最も遅い動物を」と贈ったものであった。
1953年8月11日、病によって不世出のレーシング・ドライバーはこの世を去った。今年はその50周年にあたり、イタリア国内はもちろん、世界各国でヌヴォラーリを讃えるイベントが開催されている。
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